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脳汁置き場

アスペの呻吟愚タイム

見知らぬ天井(認知症により)

認知症関連

自分は30歳だけど、もう痴呆になってしまったのではないか、そう思うことが増えました。以下、自分が痴呆に思えた瞬間を列挙。

QRコードのことを、QRLコードと言った
・カレーの「ナン」という単語が出てこなくて「ネー」という自分語を作った
・今日は日曜日なのに、月曜日かと思った(見当識障害?)
・身なりに気を遣わなくなった(ヒゲを剃らず、チェルシーのレプリカコートで外出)
・街で知人に急に出会ったとき、その人が誰なのか、候補が絞りきれず、言葉に詰まった(その人によく似た知人がいるとはいえ)
・「尋問」という単語が出てこず、事情聴取という言葉で誤魔化した
・「私有地」という言葉が出てこず、空中を眺めて指をクルクルして誤魔化した
・洗濯物を取り出すのを忘れることが増えた
・知人の名前を思い出すのに2時間かかった
・毎日、同じものを食べるようになった(リンゴ。健康目的で。)
・読んだ本の内容を他人に説明できない。
・過去に一度読んだはずの本を再読して、そのことに読了してから気づいた
・お風呂でシャンプーしたかどうか忘れることが多い(物思いに耽るから。10代の頃からよくあった)
・言葉が間違ってる気がして、不安な単語で立ち止まる(カスタマーサービスカスタマーサービスでいいのか?カスタマーセンターとかお客様なんとかセンターなのではないか?ということを話しながら考えてしまう)
・テレビを見なくなった。(見ててもなんだか辛くなる)
・判断力が落ち、目標がコロコロ変わる(ヒップホップだ!→テクノだ!→いや、パンクだ!。これはADHD的な発想の飛び交いにも思える。)
・本を読んでも感想が出てこない(「鋭かった」など、直感的なものしか出ない。小学生並みどころか、息切れした人に本を読ませたみたいな言葉しか出ぬ。)
エトセトラ。

以上のようなことが、起きた。言葉が出てこないことが特に多いように思える。言葉の出にくさ自体は、5年前くらいからよくあった。言葉は出てこなくなる一方で、映像的な記憶は長持ちしている。自分の中で印象的だった場面とか、どうでもいい場面も、ふと思い出されることがある。だから、言語の記憶に問題があるんだろうと思う。

CTスキャンでは、前頭前野のあたりが少し萎んでいた。海馬や扁桃核は無事だった。ということは、記憶自体はまだ保持出来ているんだけど、その運用に混乱が生じているということだろうか。

基本的に漏れは、ひきこもりであるから、他人に向かって自分の考えや感情をわかりやすく発信するということをしなくなりました。うまく言語化しなくても処理できることはたくさんある。たとえば、散歩の時、どういう気持ちなのかとか、疲れた気持ちは、自分の中で感じ取れたらそれで問題無いと思う。太陽の光が木の隙間からこぼれている眩しさだとか、あの日見た花の名前とか、偶然見かけた動画の女優の芸名は誰かに説明しなくて良い。「あ、おあああ(太陽光が、あたたかい)」とか、「ぬん!(ゾンビの首を、刎ねました)」とか、「っしゃああああ!!!すげえ!すっげえ!(アッコがヒグマを素手で瞬殺、勝俣大興奮)」でいい。

 けれども、そのような自分だけの言葉で生きてる状態が長引くと、他人と話すときに困るようになる。今まで言語化されていなかった感覚を、いきなり言語化する機会を作られてしまうから。「狩野さん、散歩どうでしたか?」、「あー・・・うんとね。えっとね・・・おあ、おああ、、ウボァー」という事態になります。

しかも、それが現実での会話でないと、さらに、脳が衰えるみたいな記述を見かけたような。本当にそうなのか?と思うこともある。孤独な生活をしながらも、知的な活動を続けられている人はいるはず。まあ、でもそういう人たちは、知的な活動をバリシャリしているから、それで衰えてないのか。漏れみたいに、人とも話さないし、知的な活動を放棄して、インタアネットでくだらない動画をボンヤリ見続けたりしてるのとは、ワケが違うか。

というような危惧があったので、本能的にも、人と会話する機会を作るようになりました、昨年の秋くらいから。今のところの実感としては、良い効果が出てきた感じがする。
ひきこもり真っ只中の頃よりは、今は考えがまともになった気がする。人前に出るので、すごくおしゃれではなくても、自分なりに人前で着る感覚のものを用意するようになった。散歩をしているときに、市内は敵だらけ、という感覚は無くなってきた。岩見沢にも面白い人や優しい感じの人もいるのか、という新鮮な驚き。

脳の衰えは、今は防げているレベルだと思う。ただ、人前に出たらそれなりにストレスも生じるので、適度なストレスならむしろ良い効果があるだろうけど、あんまりしんどいと逆効果かなという恐れもある。老いに関係なく、若い頃から学校とかではストレスマックスの時代しか無かったので、おうちでひきこもることは、防御策でもあるのだ。ひきこもることと、社会的な行いをすることのバランスを、今は模索しています。

ひきこもれる間は、好きなことをやりまくるという気持ちでいます。好きなことには集中できる環境だけど、ひきこもりすぎて脳がおかしくなったら、それは嫌だし、やりたいことにも支障が出てしまう。だから、恐れているのであります。

ただ、やりたいことは先述の通り、フラフラしておるので、努力の方向が散逸な状態でもあります。なぜそうなっているかというと、好きなことをやるだけではなくて、好きなことでうまくやって、それで社会的にも認められたいという、下心があるからでヤンス。

好きなことガーッとやれば良いと思うけど、もしうまくやったらマネーがもらえるかもしれないし、ひきこもりではなく、何らかの作家になったら、世間体は良くなると思う。そう思うから、社会的に認められないような趣味のことは、控える感じになっている。それがいいのか、悪いのかね。人に認められたいという気持ちは、悪いことでは無いと思うけど。認められないときに、辛いから。