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脳汁置き場

アスペの呻吟愚タイム

漏れの孤独生活

孤独

漏れは、ニートでございます。

 

しかも、無能ですので、youtubeでも動画で30再生を稼げればそれで上出来だと思えるような、やっすい自尊心で生きている。

 

仕事が無いので、一日中、好きなことをしている。好きなことをしているけど、

世間の目が厳しく、近所の人からは信用されていない。そりゃあそうで、よくわからん働いてない若者をいきなり高く評価する人がいたら、その方が驚くよ。

 

近所からは白眼視、友人は全員死亡(社会に出たということ)。

 

日常で、漏れと接してくれる人は、ほとんどいない。だから、かなりおとなしく過ごしている。でも、寂しくなるときもある。それで、ブログをやることにした。

 

無能だから、ツイッタアやヨウツベなどでも、良さを発揮できない。なぜか?だって、全然、努力して生きてこなかったからね。前前前世、全然努力してない今世。

 

しだいに無力感が生活に蔓延する。「どうせ動画作っても、5再生さ・・・」「どんだけツイートしても、よくて、2ふぁぼさ。。。」

 

「それなら、もう投稿もツイートもしないや・・・もう、テキトーや・・・」

 

そうなって、努力どころか、行動自体が減ってゆく。そうして一人で考え込むと、様々な想念に襲われるが、とりわけ、ネガティブなものが多くなる。

 

「何もしないで家にいるなんて、キチガイじゃないのか!?」

「自分では楽しいと思ってるけど、何も意味が無いのではないか?」

「自分では得意と思ってるけど、ぜんぜん下手なんじゃ無いのか?」

 

そして、何より、

 

「誰も自分が作ったものを見てくれないとしたら、何のためにやってるんだろう?やること自体が楽しいのは事実としても、それなら発表する意義とは?」

 

こう考えると、かなりの虚無主義的な考えになってしまう。結局、何もかもが、食事のような、刹那的で受動的な喜びには劣る、と考えてしまうようになる。食事は、体をつくり、体調を整えるから、まだ役割がある。目の病気でも無いのに、ずっと目薬をさしているだけのように思えてきてしまう、生活のすべてが。

 

数あるヒキコモリ本、孤独についての本を読んで、孤独であることを完全に納得しようと思っていたけど、どうしても他人に伝えたくなるような性質の考えが浮かんでくる。ちょっとしたダジャレを思いついても、それで誰かを笑わせられたら、それが嬉しいと感じる漏れの脳だ。

 

本性は、ヒキコモルのが絶対的に好きなわけでは無いと思う。自分にとって好ましい人であるなら、適度な間隔を設けた上で、会いたいと思う。野良猫たちでさえ、毎日会うのは、ちょっと会いすぎでは?と思う。

 

仕事をしていた時は、木曜日には力が尽きていた。同じ場所で、同じ人たちにあって、同じ事をやり続けると、神経がクタクタになる。それでいて、誰とも話さない日が続きすぎると、なんだか焦燥感に襲われる。

 

もし労働をするとしたら、自宅で好き勝手にやることで、それでいて外部との接点はある、というようなものしかない、と思っている。

 

なんとかお金にならないか、と思い、動画を作ったりしているけど、いっこうに金になる気配は無い。小説を書いたら?みたいなことをたまに言われることもあるけど、なんだか、ひきこもりイコール作家というのは、ありきたりな気がして、それでやる気を削がれる。何より、いかにも小説が好きそうな人、得意そうな人が書いた小説が、自分なら読みたくない。実際に好きな人、得意な人が書いたのは問題ない。

 

神社の絵馬を見ていても、面白い絵馬は、絵馬らしくない絵馬だ。型にはまってないものが好きだ。だから、高校生の時、中原昌也の小説を読んだときは、爆笑しました。これで金がもらえるの?と。今となっては、金を取っていい文章では無いから、発表する価値があったんだよね、と思う。

 

今の時代は、誰でも文章を発表できるから、なんでもありになってると思う。プロとアマの境界線が、曖昧な感じ。まあ、いいや。そんなことは。

 

今年で31歳になるけど、いまだに自分探しをしています。

どうせ無能として死んでゆくのなら、ダメ元で、好きなことをやってみようと思っている。どうせ、いつか死ぬし。仮に死ぬ前に「おれ、何も成し遂げない人生だったなあ・・・」と後悔したとしよう。それが何なのか?思った次の瞬間には、死んでいるから、後悔は消えるのじゃ。何かやればまだ可能性をこじ開けるくらいのことには、なるかもしれん。

 

もちろん、自分勝手に生きようとするには、お金はいる。障害年金の支給が終われば、死亡である。仕事が無いので、女性と付き合うことも放棄せねばならない。いまもそうだけど、世間からの白眼視にも晒される。友人も消えてゆく。リスクも多いんや。

 

そう思うので、最近は、パコデルシアとか、自分の才能を信じて努力を続けた人は偉大だと思うようになった。サネッティもそうだ。入団テストかなんかに失敗して、一時期はクラブに無所属、でも頑張ってたら、気づいたらインテルへ。かっこいいね。

 

サネッティなら、「もっと頑張ってみたら?」みたいなことを言いそうな気がします。

 

どうせ、いつか人は死ぬからね。