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脳汁置き場

アスペの呻吟愚タイム

野良猫と漏れの関係性

野良猫 認知症関連

今日も勇気を出して、お布ー団から這い出るけんね。

 

ハイネケンね。

 

野良猫たちに、母や父親の像を投影していたような気持ちに気がついて、吐きそうになった。

 

スズは、クズな感じがしたけど、再会したときには、とても愛想の良いネコになっていた。これは、自分の母親も実際にそうなっていたから、びっくりした。

 

ボスは、父親みたいに見えたのだろう。具合が悪そうにしていると、悲しく見えた。これも、自分の父親に当てはまる。

 

そう考えると、自分が野良猫を大好きになったというのは、なんだか恥ずかしいような気持ちだ。家族に対する原始的な感情が、蘇っていたのか。まさしくアニマルセラピーだ。

 

野良猫にエサを上げたことは、もしかしたら、ネコストップ近所の人に迷惑をかけたと思う。しかしながら、自分には必要な行為だったのだと思う。

 

去年の6月くらいから、とくに野良猫が好きになった。自分でも原因がわからなかった。統合が失調したのかと思った。けれども、最初に見た子猫たちが、なんだか幼少期の友人たちのように見えてきて、エサをやったりとか、運が良ければダッコしたりすると、すごく懐かしい気になった。それで、ハマっていった。つまり、友人たちの代理として、ネコには存在してもらったのだと思う。

 

自分の心境を反映しているかのようだ。ただし、この考えはオカルト成分も含んでると思うから、自分としては、完全に信じる気にはならない。ネコはネコだから。けど、気持ちとしては、懐かしくて、楽しくなれた。

 

ネコが好きな理由はわからなかったけど、好きだから見に行ってたら、なんだか良いこともあった。理屈は不要なのでは、少なくとも自分だけの世界では。

 

あんまり自分の考えだけに突っ走ると、策士策におぼれることになりかねない。漏れ士閉鎖病棟にいれらる、ということにも・・・。

 

NARANAI DE HOSIーE!

 

今朝、布団でグニャグニャしてたら、椎名林檎の歌詞が頭で久しぶりに流れた

 

いつもギリギリで生きる

 

漏れも、健常と糖質の境目のギリギリで生きる

 

アスペなのは、完全に、そうです(恥苦笑)

 

椎名林檎の歌詞が、急にわかってきた。なんだこりゃあ。

 

椎名林檎を思い出すと、どうしても、某氏を思い出してしまう。一度しか、会話したことは無い。でも、がんばれ、と言われた。そして、もう二度と言われることもない。

 

けど、頑張れと言ってくれたのは、その人くらいだ。それを妙に覚えている。

 

アスペだけども、友人だとか、そういう機会には恵まれたと思う。

 

それでなんとか、生きていられている。

 

それを思うと、せめて何らかの努力はせなアカンと思う。

 

ほとんど何もせずに過ごした時期もあったが。

 

かといって、「うおおおっしゃああ!やってやっるううう!」みたいな雰囲気、テンションには絶対になれないのが、漏れの悪い癖。